【前編】合同会社DMM.com ~レンタルビデオ店からテックカンパニーへ~

1999年に石川県のレンタルビデオ店からその歴史が始まったDMM。20年という時を経て、今では(Webに限らず)40以上の事業に合わせて、17社以上の事業会社を設立しております。会員数に関しては3000万人を超えており、今後「テックカンパニー」として大きな変革を遂げるフェーズにあります。そんな急成長を遂げるDMMの全貌を、このインタビューで明らかにしていきます。

 

 

大嶋悠也さん

2018年6月、合同会社化を迎える直前の変革期・過渡期のタイミングで、社長室所属で入社されております。その後「テックカンパニー化」していくフェーズで、2018年8月からエンジニア採用に携わり始めました。DMM全体の採用の管理をやりながら、各本部にHRBPという形で事業に寄り添って、組織設計や採用戦略に携わっていらっしゃいます。

 

石垣雅人さん

2015年に新卒のエンジニアとしてご入社されております。1年目はエンジニアリングを、2年目からはプロダクトオーナー、プロジェクトマネージャーとしてご活躍されております。また、チームのエンジニアリングマネージャー的な立場もしており、プロダクトだけでなくエンジニアの価値も最大化するところに注力されております。

 

DMM.comの歴史

 

本多

DMMのこれまでの歴史を大嶋様に伺いながら、直近のテックカンパニー化に至る背景について石垣様と一緒に深堀りしていければと思います。

 

創業期

 

本多

1999年に石川県でビジネスが始まって、今では海外進出や新規事業立ち上げをどんどん行っているかと思います。以来、DMMがこれまで歩んできた歴史をストーリー仕立てでお話頂ければと思います。

 

大嶋さん

今でこそ約40のサービスを抱えるようになってきたものの、元々はレンタルビデオ店が発祥です。その頃Amazonが波に乗り始めまして、危機感を覚えた亀山が「これからはインターネットだ!」とアルバイトメンバーに声を掛けて立ち上げたのが「敬司インターネット部」というものでした。これがDMM.comの基盤となりました。

 

成長・多角化路線へ

 

 

大嶋さん

「DMM.com ♪」というメジャーなCMが流れるようになったのが2006年で、当時の会員数は約50万人でした。その頃から多角化路線、メディアを使った発信を始めました。その後FX、太陽光、英会話など事業を拡げていき、売上規模の大きい動画配信、FX、ゲームという事業の柱を作ってきました。

 

2014,15年辺りから次の第4の柱をどうやって作るかというところで、会社をテック化していこうという流れが出来てきました。そして2018年10月、松本(現同社CTO 松本勇気氏)がCTOとしてアサインされ、「テックカンパニー」として事業をしっかりと下支えしつつ、推進できるような会社にしていこう、という流れが本格的に出来ています。

 

テックカンパニー化

 

テックカンパニーとは?

 

本多

テックカンパニー化というお話がありましたが、これからのDMMを語る上でキーワードになると思いますので、この言葉について深堀っていきたいと思います。

2018年10月、松本様がCTOとしてジョインし、テックカンパニー化が加速したと思いますが、そもそもDMMが考える「テックカンパニー化」とはどのようなものなのでしょうか?

 

大嶋さん

まず「テックビジョン」というものを、松本が就任して2週間ほどで社内に出しており、ブラッシュアップしたものを社外に向けて2か月後に発信しております。

その中で松本は「テックカンパニー」を、ソフトウェアとエンジニアリングが中心となって、数値として計測され、組織全体が運用される、科学的かつアジリティ高い組織と定義しております。

細かいところは石垣からお話します。

 

データを「オープンにする」ということ

 

 

 

石垣さん

テックカンパニー化の背景としては、今まで亀山が中心となってビジネスを立ち上げてきたところから、さらにビジネスの種を広げるために、エンジニアリングの力を活かしながら事業を成長させていく、という所が大きいと思います。

つまり、今まで亀山の天才的な発想でやってきたものを、データによって再現可能、反復可能にすることで、よりスケールするビジネスをエンジニアリングの力で実現させていく、という観点でテックカンパニー化が必要だったと思います。

 

ですので、一番は「データ戦略」です。先程のテックビジョンにもあるのですが、データを見ながら仮説検証からの学習を繰り返し、いかにプロダクトをグロースさせるかが重要になってきます。

今までは直感や経験に基づい仮説を立案することを考えておりましたが、そこにエンジニアリングの要素が入ることによって、弊社のビックデータ基盤を中心とした様々なデータデータ分析を通して、いかに仮説のヒット率を上げられるかを考えるようになりました。これが、エンジニアが事業にコミットするメリットかなと思っています。

 

本多

「テックカンパニー化」によって生まれたビジネスはありますか?

 

石垣さん

そこまで多くはないです。それよりも、現在は「データ戦略の組織」に浸透させる下地を作っています。

それに付随したところで言うと、元々エンジニアだけがデータを使って、データ分析をしたり予測モデルを作ってプロダクト開発に活かしていたのですが、今ではエンジニアであるかどうかは関係なく、非エンジニアの社員でも自分で欲しいデータは自分で取ることができるよう文化づくりを積極的に行っています。社内にはデータアナリストという専門家がいるのですが、そのデータアナリストが中心に、ディレクターや営業・企画など、全社員が自分で必要な情報は自分でSQLを書いて出せるように教育しています。

 

テックカンパニー化といっても、エンジニアだけが頑張っても意味がいと思っており、会社全体がテックを理解した上で、データに基づいてビジネスの立ち上げやグロースをさせていくことが重要になってくると思います。

 

【前編】ランサーズ株式会社 ~僕らはオープン ・タレント・プラットフォームを創る~

「ありがたいことに『ランサーズってオンラインの仕事マッチング(クラウドソーシング)事業をやっている会社だよね』とよく声をかけていただきます。実はそれ、過去の話なのです」。ランサーズ株式会社は「フリーランスや副業など働く『個人』」に対して、誰もが自分らしく働くことができる環境や社会インフラ創りを目指しています。そんなランサーズ株式会社の歴史からこれから目指している世界まで、ぜひご覧ください!

 

 

秋好さん

ランサーズ株式会社の創業時メンバー。1983年生まれ。大阪府出身。2008年4月に株式会社リート(現・ランサーズ株式会社)を兄陽介とともに創業し、システム開発からデザインまで独学で幅広く活躍。現在はプロジェクトマネージャーとしてプロダクト開発や組織作りを担当しています。

 

ランサーズの歴史

 

 

 

 

創業の経緯

 

本多

まず、秋好さんが抱かれている「創業時からの想い」についてお伺いさせていただきます。2008年の4月にご創業されまして、フリーランスプラットフォームにおいては今やリーディングカンパニーとなっていらっしゃるかと思います。そこで、設立からこのリーディングカンパニーになられるまで、どういう歴史を辿ってきたかをご教示頂けますでしょうか。

 

秋好さん

それでは、何故このランサーズという会社ができたのか、からお話しますね。

代表の秋好(兄陽介)は、2000年代初頭の学生時代にフリーランスとしてSEOコンサルタントやHP制作を請け負っていました。当時、会ったことがないお客さんからの仕事を受注し、期限内に納品したところ、「振り込みました」という連絡がきて、きちんとお金が振り込まれていた出来事がありました。その時、顔も知らない人と取引をして報酬を得たことに衝撃を受け、非常に感動したそうです。その時から、「こういう働き方があるのか!」と新しい体験をしたことでインターネットの世界にのめり込んでいきました。

そこから、2004年代表の秋好は新卒でIT企業に入社し、ディレクター・プロデューサーという立場で色々なサービスを作っていました。そんな中で、自分がフリーランスとして働いていた時に知り合った優秀なエンジニアの方と一緒に仕事がしたいと思い、発注をしようとしたところ、会社として個人(フリーランス)には発注できないと言われてしまいました。その時、企業がフリーランスに仕事を発注することに否定的な態度を見て、「企業がもっと簡単に優秀な個人と繋がれる場をつくるべきだ」と思いたち、サービス開発を決意しました。これが、ランサーズの始まりです。

 

創業時の強い想い

 

本多

創業期には、どういった想いでサービス展開されようとしたのですか?

 

秋好さん

今後、インターネットが普及していけば、個人での裁量が広がり、個人が活躍する時代になっていくだろうという前提がありました。そこから、個人に対して後押しし、勇気を与えることを意味する「個のエンパワーメント」を作り出していきたい、というのが弊社の創業時の想いであり、弊社のミッションでもあります。

企業が障壁なく個人の優秀なフリーランスの人と繋がれる、そこでフリーランスの人も営業活動をしなくても仕事を手にする機会が増えていくことを夢見て始めました。

 

ターニングポイントは2011年

 

 

秋好さん

2008年にリリースして、4年間くらいは苦しい時間が続きました。もの凄く静かでした。もちろんお仕事の依頼があったり、成約もあったのですが、サービス自体は全く伸びず、ランサーさん(※)もなかなか増えませんでした。そんな状況が変わったきっかけは、2011年の東日本大震災の時でした。震災や停電をきっかけとして、社会全体が働き方を見直すことが多くなり、時間や場所によらない新しい働き方に注目が集まり、ノマドやテレワーク等の言葉が世間で飛び交うようになりました。2011年を区切りに、会員登録数やお仕事の依頼数が大きく伸びていきましたね。

当時から様々な競合他社のサービスが出てきていましたが、粘り強く諦めなかったし、先述のような「企業が障壁なく個人の優秀なフリーランスの人と繋がれる、そこでフリーランスの人も営業活動をしなくても仕事を手にする機会が増えていく」という世界が絶対に必要だと思っていたので、それを信じてやり続けることができました。それが結果的に大きかったと思います。当時に数百と出てきた競合他社さんは次々と諦めていきました。

※ランサー:ランサーズ独自の言葉で、フリーランスの方(会社員の方も含む)を指します。

 

会社としての拡大・成長フェーズへ

 

本多

2011年から右肩上がりの成長を遂げ、今では従業員の方も150名を超えております。そんな会社の成長・拡大フェーズである2011年から今までについて、詳しくお話しいただけますでしょうか?

 

秋好さん

広報に力を入れ始めたことが大きいと考えています。それまでもインバウンドでの取材が時々あったのですが、「自分達から取りに行く」ことにしました。一番の契機は、2012年9月のテレビ東京のWBS(World Business Satellite)に出たことでした。その頃は会社としてもまだ認知されていなかったのですが、あの番組に出てからは明らかに会員登録の傾向が変わりました。

 

本多

2011年までは、会社としてランサーの方と企業とをマッチングできるような体制を作ることや技術的な部分にパワーを割いてきました。それを諦めずに続けていき、2011年に市場の流れが出てきて、その流れを活用してテレビ出演も決め、会社として大きく成長・拡大していったのですね。

 

秋好さん

会社として、自ら広報の機会を取りに行けたのは大きかったと思います。

 

ランサーズが目指す未来

 

 

「クラウドソーシング」≒「フリーランス」

 

本多

ランサーズ様が成長・拡大していくフェーズについてお話を伺えたので、次は今にフォーカスを当てていきたいと思います。現時点で、ランサーズ様はどこを目指されているのでしょうか?

 

秋好さん

僕らはお仕事のオンラインマッチングの「クラウドソーシング」事業だと思われているのですが、僕らはオンラインマッチング(クラウドソーシング)のみをしたい訳ではありません。我々は、テクノロジーの活用によって個人の「働く」をデータベース化し、あらゆる個人を 広義 のプロフェッショナルに変える「Open Talent Platform(オ ープン・タレント・プラットフォーム)」の構築を目指しています。

僕らがやりたいのは、企業はフリーランスに対して信頼のおける優秀な特定の方に仕事が依頼できる、そしてフリーランスも企業に対して的確な価格や納期などを指定した質のいい仕事と気持ちよい関係性のクライアントが見つかる、というお互い安心して仕事ができる環境を作ることです。

 

本多

「クラウドソーシング」と「フリーランス」をしっかり区別されているのですね。

 

秋好さん

フリーランスという言葉を使っていますが、僕らは「広義のフリーランス」と言っていて専門性のある方や個人事業主として働かれている方、パラレルワークの方、副業の方なども含んでいます。個人が自由な働き方をするのに会社員だと難しい。だからといっていきなりフリーランスになるには不安を抱く方も多いと思います。ただ、その過程に副業しながらフリーランスをするというのがあっても良いと思うんです。働き方は多様なので、大学を卒業してそのままフリーランスになることがあっても良いと思います。

 

【後編】株式会社LIFULL ~日本一働きたい会社へ~

【前編】ではLIFULL様の歴史や事業多角化の背景など、主に企業概要についてのインタビューでした。今回はそんなLIFULL様の挑戦する風土や働きたいと思える会社作りなど、社風や制度などの内容にフォーカスを当てています。「日本一働きたい会社へ」を標榜するLIFULL様の「人」に対する考え方を、ぜひ実感して頂ければと思います。

 

【前編】はコチラから⇓

【前編】株式会社LIFULL ~「不動産情報サービス企業・単なるIT企業」ではくくれない「想い」の会社~

 

 

 

木村 修平さん

2008年8月LIFULLに中途入社。前職ではエンジニアとして約7年勤め、その後不動産投資事業のエンジニアとして株式会社LIFULLにジョイン。その後様々な経験を経てエンジニアマネージャーのポジションへ。2018年に人事本部に異動し、元エンジニアの強みを生かした人事として活躍されています。

 

 

新規事業を生み出すキッカケ

 

木村さん

新規事業提案制度の「SWITCH」というものがあります。社員ひとりひとりの情熱とアイデアをコンテスト形式で発表・評価し事業化につなげる制度です。

LIFULLのカルチャーの最たるものが利他主義であることはお伝えしましたが、他にも、高い目標に挑戦することも大事にしています。あとは主体性とか積極性とかのキーワードが出てくると思いますが、挑戦すること自体の価値を大切にしている会社です。

 

称賛し合う文化

 

木村さん

ガンガン挑戦をした結果当然失敗することもあるんですね。LIFULLの歴史の中でもいろいろやってきましたが、残念ながらクローズした事業もあります。ですけど、トライアンドエラーを沢山繰り返していくことが大事で、それを表現するうちの文化として「認め合う文化」「称賛し合う文化」というものがあると思います。

例えば全社総会といった全社員が集まる場で、「残念ながらこの新規事業は終わります」と共有するだけではなく、事業責任者からその理由や振り返り、次にチャレンジする人のメッセージなどの報告をしていただく機会があるんです。その時は「頑張ったね」とその挑戦を皆で拍手で称えたり、聞いている社員も涙してしまうような、すごくいい雰囲気というか。まずは挑戦することが大事なんだよというものを体現しているような例だと思います。

 

行動指針のガイドライン

 

木村さん

我々はこういうカードをぶら下げています。

 

 

ビジョンの実現や利他主義の体現のための行動規範のガイドラインを作っていて、これを常に実践していきましょうと共通認識にする為のものです。このガイドラインの中にも挑戦を意識したものはもちろん入っていて、ひとつは「革進の核になる」というもので、もう一つは「高い目標を掲げる」というものです。ガイドラインを理解することで行動の質が高まり、カルチャーを体現することが可能になります。このガイドラインの言葉を用いて上司部下のコミュニケーションをとることも多いです。

 

より大事なのは「内発的動機付け」

 

木村さん

「SWITCH」など挑戦する機会を提供する制度設計について話を進める前に、その根底の話も少ししておきます。

当然挑戦の成功には報酬もつきものだと思いますが、それだけをモチベーションにするというのは我々の考え方で良しとするものではないです。なぜかというと、いわゆる条件や報酬って与えられる外発的な動機じゃないですか。これは悪くはないんですが、これに依存しすぎてしまうと、短期的な成果は出ても中長期的な成果を出し続けるのは難しくなるよねっていうのが我々の考え方です。

 

そこで、より大事なのは「内発的動機」です。

例えば新しい事業を成功させるにはとて強い気持ちでコミットしなければならないですし、リスクを背負ってでもやり切る力が必要です。大変な時、苦しい時こそ、内発的動機が必要であると考えています。

内から湧き出る「絶対に私はこの問題を解決するんだ」という強い気持ちが大事だと考えています。

 

「内発的動機」はどのように育まれるのか?

 

 

木村さん

このような考えを浸透させるにあたりやっぱり採用が大事だと考えています。内発的動機を持つ人なのか、何でもいいではなくこれをやりたいという人を同志にする必要がありますね。

社員一人一人の内発的動機を引き出す施策としては、そのためだけにやっている訳では無いですが、「SWITCH」をはじめとして沢山の制度があります。

 

例えば、「クリエイターの日」というエンジニアやクリエイター職の方々がメインミッションから完全に離れて好きな開発を3か月毎に最大7営業日使って良いという制度で、成長意欲を高め、挑戦の機会を提供しています。他には、「CaRealizeキャリアライズ)」と呼んでいる兼業を可能にする制度であったり、自分のキャリアデザインを実現させるために、可能な限り部署異動や職種のチェンジなどの背中を後押しするような「キャリア選択制度」があったりします。加えて、社員の内発的動機を引き出すスキルや知識を身に付けられるミドルマネジャー研修にも力を入れてやっています。

このように内発的動機を育み引き出せるような仕組みを整えています。

 

本多

ありがとうございます。事例とともに説明して頂き、新規事業や挑戦に対する考え方など、とてもよく理解できました。

 

木村さん

内発的動機を大事にしながら、会社として既存事業を推進するところも力を入れつつ、内発的動機をベースに挑戦できる風土・制度を整えていって、挑戦し、それを認める。全てがつながることなのだと思います。

 

日本一働きたい会社へ

 

 

本多

最後の質問に入るのですが、「働き方」についてです。リンクアンドモチベーション様のベストモチベーションカンパニーアワード2017の受賞であったり、働きがいのある会社ベストカンパニー受賞であったりと、「働き方」に対してとても注力されているようにお見受けします。社員のモチベーションを高める仕組みはどのよう整えているのでしょうか?

 

木村さん

日本一働きたい会社を目指していますが、それは「働きやすい会社」なわけではないですよ。より大事なのは安心できる環境の中で思い切り挑戦できる「働きがいがある会社」という点です。

 

なぜ「働きたい」「働きがい」にこだわるのか

 

木村さん

なぜ「働きたい」という環境を求めるのかというと、我々が大切にしているステークホルダーの定義の中に従業員がいるからです。従業員も幸せでないと、コーポレートメッセージにあるFullになる世界がどうしてもできないので、そのためにも働きたいと思える環境や仕組みを提供しなければならないし、楽しく仕事をして最大の成果が出せればハッピーじゃないですか。

 

働きがいのところの要素はこれまでお話したように、ビジョンやカルチャーに強く共感している人達”だけ”が集まっているということが非常にやり易くさせてもらっているところです。そういう人達の仕事を後押しする取り組み、制度、考え方っていうのが浸透しているのが我々の強みであると考えています。

 

「働きたい」「働きがい」を支える制度、文化

 

木村さん

先ほどご紹介した制度もそうですし、最近ではキャリフルという、LIFULLグループ内の社内兼業制度を始めました。異動希望するのに踏み切れない人、興味あるけど自分に向いているんだろうかと考えている人とか、あっちもこっちもやりたい欲張りな人、いろんな人がいると思うんですけど、より具体的な働きがいを探したい人達にもいい制度だと思います。キャリアデザインを応援し、やりがいを感じる仕事を承認することで、さらにモチベーション高まるいい循環になるのではないでしょうか。

 

あとはスキルアップ、自己成長を促すもので言うと、これも利他主義の実践だと思いますが、社員が社員に得意なことを教え合うゼミ形式の社内大学制度(LIFULL大学)や、外部研修への参加支援(トーマツイノベーションの外部研修やリンクアンドモチベーションの研修プログラム)があります。他にもエンジニアで言えば、カンファレンスやイベントにも担当の技術マネジャーに相談して可能な限り予算を捻出しますし、書籍などの購入も都度検討します。

 

最後に認め合う文化の仕組みですと、様々な職種別の表彰制度も当然ありますし、年間の様々な表彰者の中から選抜する海外選抜研修があったりします。これは、選抜されたメンバーがチームを組み、チームで目的や行き先を決めることができます。西海岸だったり北欧だったり、毎年趣向が違っておもしろいです。半分ご褒美の要素もあると思いますが、目的を持った研修ですので、何かを持ち帰ってきてもらって、それを社内に還元してもらうという形です。他にも小さなメッセージカードにありがとうの気持ちを書いて渡したりする、サンクスカードというのもかなり昔から根付いています。

 

まだ伝えたいことありました(笑)

ビジョン、カルチャーなど価値観の共有への取り組みとして「ビジョンプロジェクト」という有志の委員会があります。目的別のチームに分かれ、ビジョンの浸透施策を考え実行したり、コンパと呼ばれる夜ごはんを食べながらワーク型でビジョンやガイドラインなど会社の考え方を共有し考えを深める取り組みも定期的に行っていたり、ビジョン浸透のための施策を推進しています。

 

安心して働ける環境に関して

 

 

木村さん

ライフイベントや様々なライフスタイルをもつ社員がいるので安心して働ける環境創りについては、時代が変わる中で色々取り組みを続けているところで、色々なことをやってきています。全部伝えられないと思うんですけどいくつか紹介します。

 

例えば休暇制度の話で言うと、年2日間、自由に自分でイベントの日を定め休暇を取得できるイベント休暇があります。あとは有給休暇を4日連続取得すると3万円の一時金手当が出るリフレッシュ手当制度があります。有給休暇の取得率は、最新のデータだと約88%です。勤務形態はフレックスタイム制度をとっており、10時~16時がコアタイムでその前後はフレキシブルに時間を設定できるので、プライベートも充実してもらえたらと考えています。

残業時間の平均は全社平均約12時間でバランスよく働かれている方が多いのではないでしょうか。あとは在宅勤務制度もあります。介護や看護などやむを得ない事情の場合に条件の中で在宅勤務できるといった制度は整えています。 産休の取得率、復帰率ともに100%で、男性の育休取得率も約13%とかなり高いと思います。

 

仕事とプライベートのバランスを整え、自己成長にもしっかり向かい合ってもらうことを大切に思っています。

長くなりましたが、これまでお話したように色々な取り組みをしっかりと定着させることが大事です。新しく仕組みを作っても、継続的に使ってもらわないとダメですね。

 

本多

ものすごくいいですね…。働きがいにフォーカスを当てた取り組みと併せて、安心して働ける環境を実現させるような多様な取り組みも多くあり、この2軸が非常に強く浸透しているからこそ、結果として栄えある賞なども受賞されているんだろうなと解釈しました。これだけ多くお話できることに圧巻されましたし、それがLIFULL様の強みだと思いました。

 

最後に一言

 

 

本多

それでは質問は以上なのですが、最後に少しでもLIFULLに興味を持っている求職者様に対して一言頂けますでしょうか。

 

木村さん

選考を受けていただきたい方を挙げるとすると、自分が大切にすることと会社が大切にすることがマッチし、それを会社選びで重要視している方にぜひ検討していただきたいです。ただ、大事なことはそれだけではないですし、例えばスキルアップが転職の主目的でもいいとも思っています。スキルアップして「できること」が増えると「やるべきこと」が視え、「やりたいこと」が増えていくのは自然です。そうして自分のビジョンやキャリアデザインが形作られる方もいらっしゃると思います。何のためにスキルアップするのか、その目的が会社が大切にすることとベクトルがあっているといいなと思っています。

 

そして未来の自分を想像しながら、この会社で働くことが合っていそうだと思える方だったらいいなと思います。

過去の自分だけ見てこの会社に合いそうだとちょっと辛いかもしれない。過去の自分はこうだけれども、未来の自分をイメージして「ここで働きたいんだ」と言えるような人と一緒に働けたら嬉しいなと思っています。

 

本多

力強いお言葉をありがとうございます!以上でインタビューは終了です。

分かりやすく、かつ、想いの乗ったインタビューをありがとうございました!

【まとめ】ドローンとは何か?その歴史とともに徹底解説!開発者は誰で、何のために作ったのか?

ドローンを使用して上空から撮影された映像が、テレビでもよく見られるようになりました。最近誕生したようにも思えるドローン。しかし、ドローンの誕生は今よりもずっと昔、第2次世界大戦中だったのです。この記事では、ドローンが開発された目的とその開発者、そしてドローンの歴史を徹底的に解説します。

 

ドローンとは

 

「ドローン」という言葉はよく聞かれるようになりましたが、一体何を指すのでしょうか。まずは、ドローンとは、という基本的なことやドローンの名前の由来を紹介します。

 

ドローンとは空を飛ぶ小さな機体

 

 

ドローン(Drone)とは、空を飛ぶ小さな機体です。よく知られているのは、4個または8個のプロペラが付いているドローンでしょう。ラジコン飛行機を進化させた飛行物体と考えると分かりやすいかもしれません。

ドローンは、ラジコン飛行機のように地上にいる人が操縦する飛行物体です。遠隔操作で操縦できるので、遠くへ飛ばして人が立ち入れないような自然の風景を写し出すことも可能です。

また、「ドローン」という言葉は一般的に広く使われているので、人が乗って自動操縦する小型の機体もドローンと呼ぶこともあります。

 

ドローンという名前の由来

 

 

 

「ドローン(Drone)」という言葉の意味は、もともと「ミツバチの雄バチ」を表しています。プロペラの付いた飛行物体が「ブーン」と雄バチのような音で飛ぶことから、その飛行物体がドローンと名付けられました。

さらに、ドローンと形が似ているイギリスの射撃訓練用飛行機の名前が「クイーン・ビー(女王蜂)」だったことから、ドローンと名付けられたとも言われています。

 

ドローンの歴史

 

近年ドローンの活躍が注目されていますが、実はドローンが開発されたのは約70年前なのです。当時、ドローンが開発された理由と共に、ドローンの歴史を紹介します。

 

ドローンが開発された理由

 

 

ドローンが開発された時期は第2次世界大戦中です。つまり、軍事目的でドローンが生み出されたのです。ドローンの開発目的は、爆弾を搭載させたドローンを敵の機体に衝突させ大爆発を起こそうとするものでした。しかし、実用化にはいたりませんでした。

戦後も軍事用ドローンの開発は進められました。当時のドローンは、標的を定めたり、魚雷を投下したりする目的で開発が行われていました。

そして、1970年代には電子部品の小型化や高性能化によってドローンの開発がさらに進みました。この頃、敵地の偵察を目的とするドローンの開発が行われたのです。

 

ドローンの開発者

 

それでは、ドローンの開発者は一体誰なのでしょうか。実は先ほどお話した通り、ドローンは第2次世界大戦中に開発が開始されたものなので、軍事機密のために開発者は公開されていません。

 

ドローンの民間利用

 

 

第2次世界大戦中に軍事目的で開発が進んだドローンですが、1980年代には産業用ドローンも誕生しました。この頃から、民間利用のためのドローンが登場し始めたのです。

2000年代には、農薬散布用のドローンが活躍し始めました。そして、2010年代にはスマホで簡単に操作できるドローンが登場し、多くの人がドローンを操縦できるようになりました。

そして現在でも、インターネットの高速化や電子装置の小型化によって、ドローンの開発が進んでいます。

 

ドローンの用途を歴史と共に紹介

 

現在、ドローンは色々な分野で活用されている機体です。ドローン開発の歴史を踏まえて、ドローンの用途を紹介します。

 

軍用ドローンはパイロット不足

 

第2次世界大戦中に軍事目的で開発されたドローンですが、現在でも軍事用としてドローンが使われています。ドローンは遠隔操作で操縦する飛行機なので、ドローンを正確に操縦できるパイロットが必要です。

しかし、アメリカでは軍事用ドローンのパイロットが不足しています。なぜなら、軍事用ドローンのパイロットは、精神的苦痛が大きいからです。

軍事用ドローンパイロットは、自分は安全な場所にいながらドローンを敵地の上空へ飛ばし、敵を発見したら攻撃しなければなりません。これは、誰でも大変辛い仕事でしょう。

 

産業分野でも活躍するドローン

 

軍事用として開発が進んだドローンは、今度は産業分野で活躍するようになりました。例えば、広い農園に農薬を撒く作業を行うドローンが2000年代に広まり、活用されました。

ただし、ドローンを操作して農薬を散布するためは許可が必要です。農林水産航空協会に申し込みし、座学と実技を受講することで許可を得られます。

工場の屋根などの設備点検を行うドローンもあります。例えば、自宅や工場の屋根に取り付けられている太陽光発電システムのチェックをドローンが行えるようになりました。

このように、人間が行うと労力や時間のかかる作業をドローンが代わりに行ってくれるのです。さらに、人間が行うと危険を伴う高所での作業もドローンが行ってくれると安心です。

 

【まとめ】インターネットの歴史!そもそもの起源から普及スピード、発展の理由までわかりやすく解説します!

私達の生活において欠かせない存在であるインターネット。普段当たり前のように使用しているインターネットですが、皆さんはその歴史についてご存知でしょうか。そもそもインターネットが誕生したきっかけや、現在のように普及した要因とはなんなのか、今回はそんなインターネットの歴史について解説していきます。

 

インターネットが普及する前の通信事情

 

19世紀から存在していた?

 

 

仕事のときはもちろん、毎日の生活でも必ずといってもよいほど利用しているインターネット。むしろ今突然インターネットが使用不能となった場合、様々なことに影響を及ぼすほど私達の生活になくてはならない存在です。当然ながらこのインターネットは、大昔から存在していたわけではありません。ではインターネットが普及する前の通信事情はどのようなものだったのでしょうか。

実はインターネットが誕生する遥か前の19世紀の時点で、インターネットのような通信網は存在していました。正確には電信網というものでした。つまり電話回線です。モールス信号という低速度の通信回線が世界中に張り巡らされており、そのようなものを使用して世界中に情報伝達をしていました。

 

日本ではいつインターネットが普及した?

 

ちなみに日本にインターネットが広まったのはいつ頃でしょうか。明治時代の文明開化により、人々の生活や文化などの部分で大きく変わりました。そのタイミングで外国の技術なども導入され、日本にも電信網が設けられました。とはいえ、その時点で世界と日本の間には技術的な部分で大きな差が生じています。

日本にインターネットが誕生したのは、1984年です。とはいえ、現在のように一般市民が気軽に使用することができるようなものではありませんでした。東京大学などの有名な大学同士を通信回線で結ぶ状態から、日本におけるインターネットは始まりました。

 

パケット通信の歴史

 

元々は軍事用?

 

 

現在インターネットを利用する人のほとんどは、スマートフォンを用いて利用している人がほとんどです。そしてそのスマートフォンを利用する際に用いられる通信方法が、パケット通信です。ギガ数が足りなくて速度制限に苦しんでいるという人も、現在この記事を読んでいる人の中にはいるはずです。

現在ではスマートフォンの通信方法として用いられているのが一般的ですが、元々は軍事用だったということは、意外にも知られていません。1960年代、当時の米軍が核兵器にも耐えられる通信方法として考案されたのが、このパケット通信なのです。

 

通信回線が乱立

 

 

軍事用として考案されたパケット通信ですが、次第にそれは様々な分野から注目されます。そしてパケット通信の誕生をきっかけに、アメリカを中心に多くの企業では独自のネットワークを生み出しました。そしてその動きはアメリカだけでなく、イギリスなどにも広がりました。

そんな独自のネットワークを生み出した企業の一つであるARPANETは、複数のネットワークを相互接続するネットワークを開発しました。このネットワークが現在のインターネットの元であり、その後の爆発的な発展のきっかけでもあります。

 

80年代はインターネット元年?

 

TCP/IPの登場

 

 

様々な独自のネットワークが乱立しており、中にはARPANETのように複数のネットワークをつなげるというものもありましたが、当時出回っていたネットワークのほとんどは独自のものばかりでした。当然独自のネットワークであるため、使い勝手もよくありません。このような乱立が問題となっており、一部ではこの問題を解決するための方法を考えていました。

そこで誕生したものがTCP/IPです。インターネット・プロトコル・スイートと呼ばれているTCP/IPは、大多数の商業目的のネットワークで利用可能な通信規約のことです。1982年にはこのTCP/IPが標準化され、これによりインターネットという概念が誕生し、普及スピードが急激に上昇しました。

 

プロパイダの出現

 

私達がインターネットを契約する際、基本的にはインターネットサービスプロバイダと契約しなければいけません。現在の場合は、光回線などとセットで契約するというのが一般的です。そんなプロバイダも、実は80年代に登場したのです。

先程紹介した独自のネットワークというのは、基本的にきちんとした目的があるために作られたものがほとんどでした。そして通信速度に関しても、今のように比較的安定しているわけではなく、そもそも通信自体が不安定でした。そのためただインターネットを使いたいという理由だけでは、使用することができず、企業などからも安定したネットワークがほしいという声が多く出ました。そのような声から非営利のインターネットサービスが誕生し、やがてそれがプロバイダとなったのです。

 

なぜインターネットはこれほど普及したのか

 

通信機器や通信費の低価格化

 

 

80年代にインターネットの基盤が作られ、その後爆発的な勢いで世界に広がっていきました。そして現在では、日本はもちろん世界中で当たり前のように使われています。しかしなぜここまで普及したのか、気になる人も少なくありません。

現在IT界隈などで注目を浴びているドローンやAI、これらが急速に広まった理由として、パソコンの性能向上低価格化があります。インターネットが爆発的に普及したのも実は同じ理由です。インターネット誕生当時は、今までの電話回線を使用したものがほとんどであったため、通信速度や送受信できるデータも限られていました。それから光回線などの様々な回線が誕生し、その通信に用いる機械や技術の進歩によって、大きく普及したのです。そしてそのような通信回線の登場により、プロバイダの利用料も低価格化が進みました。